A君の死を境に考えた事は自分と言う人間とは自己とは何なのか
今では自己とは自分だけの世界感に尽きる事と思います。つまり
一人ひとりが違う世界があると感じていますが。自己においても
視点や考え方を変えるだけで世界は広がります 年甲斐も無く
下らぬ事を言っていますが 当時は気づきませんでした。また何のために
生きているのかは今も分からないです(深い意味で)
此の事に理由など付ける必要など無いのだ。 今はそう思います
死 の事も 難解です 生まれてきた生き物は 遅かれ早かれ
否応無く (有る無しべつに) あの世へ旅立つと 言われていますが
自分の死は 未来の事ですが 生まれは過去の事です
その狭間に 居るわけですが 生まれる以前の事も分かりません
テレビ等では 前世の事覚えて 居られる方話題になりますが
死後生前はほとんどの人は 分からないでしよう この様に
今の時代に成っても解明されない謎ですが
私が言いたい本当の事は此れでは有りません。こんな
稚拙な当たり前の話 くだらなく 聞くに値しない事だと思い
ますが 最近わたしの まわりで 宗教に関する嫌な思いをする
ことが多くなりました 何故私等の子供時代より教育レベルの
高い今の若い人が簡単にそんな世界に入り込む訳が分から無いです
此の国では思想信仰の自由を憲法でうたわれますが、私は信仰とは
心の拠りどころだと考えていましたが。私が見たものは其れとは
かけ離れ入信者を少しづつ罰と称して 恐怖心をあおりそこに
縛り付ける 術にたけた集団であると 思います その事は 多かれ少なかれ
全ての 宗教に言えると思います 発言による反論には応じるつもり等は
有りません でも 心の拠りどころと成る面が有る事は 認めます。
私が思うのは大昔の情報や劣悪な環境にさらされ 科学的にも
未知の事が多すぎた時代では 私も宗教を信じたでしょう 今の私には
その気は無いです 理由を聞かれれば 其れは 元々人 人間が自己思考
でつくり出したものと考えて居るからです 解らない事も含め神秘の世界が
有るのも 否定はしません その人達は 其れこそが 神であると 言うでしよう
私はそうは 思いません何故なら そんな事が 真実であるなら答えはひとつ
つまり私の考えでは本物であれば 此の世の宗教は ひとつ の筈です
本物とは誰もが皆で認めるもの(例えば水は誰が見ても水です)
でも現実は違いからくる争いが絶えません ですから 多くの宗教は
私的には ひとつひとつが 会社だと 思います 人を集め 収益を
揚げる企業であると思うのです それに依りその中で最上位に座る
者のふところ だけを 暖めて いるに 過ぎないだけだと
感じていますが 私 だけかな いいえ 傍らから見ている
人は 気付いていますが やっている 当人は
気付かないと 思います その世界に入り込み
周り すべてが その世界観に
縛られて いるからです。
人に与えられた命の時間は限られます
体力も 時間とともに 衰えて いきます
もったいない もったいない
そんな所に大切な時間とお金喜んで
差し出す 人の 考えが不思議ですが その人なりの世界です
また そこが良いと思うのも その人の自由です 私が書いた此の
話で反論されるも自由です でもお答えは。しません 疲れます!!
息子達には この様な世界に入って欲しくないです
此れが私の 今の考えおそらく後にも 変わりません。
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